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SUNTORY WHISKY 白札 ”Rare Old Island Whisky” FIRST BORN IN JAPAN

先日のチラリズムの正解は、

国産第一号ウィスキー、SUNTORY WHISKY 白札でした!!
Rare Old Island Whisky 表記と、FIRST BORN IN JAPAN表記がまぶしいです!

2日前に口開けしたばかりですが、当初は樹脂のような香りが強く、時間を置くとレーズンのような香り、ブレンド用アルコールのピリピリ感があり、
まぁ昔のジャパニーズだしこんなもんかと思っていたところですが、今日になって香りが激変。
昔のギリーを思い出すようなピート香、スモーキーさが出てきて、落ち着いてきたらちゃんとテイスティングをして記録に残そうと思います。

さて、縁あって私のところにまわってきていたこのボトル。
当時、モルト以上に希少だったグレーンを代替するため、創業当時の山崎蒸留所の原酒に穀類より製造したアルコールがブレンドされた、
モルトとブレンド用アルコールのブレンデット、分量によってはシングルモルトとも言えなくはない一本。

本日、11月26日に開催する第3回オールドブレンデットテイスティング会にて、皆様に飲んでいただくため、
 その長き眠りから目覚めたばかりです。

 それはいったいどれほどの眠りだったのか・・・
このボトルの流通年代を紐解いていくに当たり、まずは白札の歴史をおさらいすることにします。
 

1.国産ウィスキー誕生と誇大広告
国産第一号ウィスキー、白札が販売されたのは1929年。
山崎蒸留所の完成など、歴史的一歩と裏腹に、壽屋の経営は火の車であり、
 「まだ熟成が足りない」と渋る竹鶴正孝を鳥井及び当時の壽屋の役員が説得し、販売に踏み切った、
いわば未完成、妥協の一本が、国産第一号ウィスキーの記念すべき門出でした。

その記念すべき一本は、驚くべき誇大広告

山崎蒸留所創業:1924年12月
SUNTRY WHISKY 白札7年 発売:1929年4月

小学生でも間違えない引き算ですが、いったいどこから7年ものの山崎の原酒を持ってきたのか。
 正確には約5年の熟成でありながら、7年ものと銘打たれて販売された白札は、ご存知のとおり”煙くさい”と不評でした。
(広告にも、ボトルの肩ラベルにも7年ものの表記あり。)

当時のスコットランドに習って、ヘビーピート気味に炊かれた麦芽を使って、しかも若いも若い、4年少々の熟成ではさぞピーティーさが際立っていたのでしょう。


(山崎蒸留所に展示された、有名なあの広告)  

また、白札の発売は法律との戦いであったことも付け加えておかねばなりません。
どの業界もそうなのですが、新しいことをはじめようとすると、まず立ちはだかるのが法の壁。
有名な話では、サントリー系の本でも、ニッカ系の本でも、ウィスキーの歴史について触れた本やサイトには、
 竹鶴か鳥井が、さも山崎蒸留所で蒸留を始めるに当たって、庫出税を認めさせたような記載があります。

が、実際は酒税法の改定が行われたのは1944年のことであり、ここで初めて 造石税方式が庫出税方式に変更されます。
山崎で蒸留が開始されてから約20年間、天使の分け前分多くの酒税を払ったのが、この白札であり、1937年に販売された角瓶であったわけです。

2.白札のラベル遍歴と酒税法改定
国産第一号ウィスキーとして、記念すべき一本でありながら、そのラベル遍歴や、当時どの程度の等級で販売されたのかなど、
詳しい情報の一切がヴエールに包まれているのが白札であり、このボトルを幸か不幸か手にした方々が、まず頭を悩ませる部分かと思います。

唯一メーカー公認としてネットに情報がのこっているのが以下のサイト。
http://www.eiken.co.jp/modern_media/backnumber/pdf/MM200508_04.pdf

公式コメントによれば、サントリーがクロスするトレードマークの上に書かれた、Rare Old Island Whiskyが、
白札の販売時期の後期には、Rare Old Blended Whiskyに変更されるというもの、それ以外は同じ。
ところが、実際今回紹介しているボトルは、ラベル下部の壽屋表記などが違ったり、
明らかにメーカー公認の話から外れたラベルデザインが確認されています。


(国産第一号ウィスキー 山崎蒸留所展示ボトル)

可能性としては、壽屋は1934年から禁酒法明けのアメリカに白札を輸出しており、
今回開封したボトルはKOTOBUKIYAと社名が英字であることから、輸出向けのボトルであればあるいは・・・というところです。

ではラベル遍歴以外のアプローチとしては、1980年代以前のオールドボトルといわれるボトルを選定するとき、まず思い浮かべるのは”特級”表記です。
日本は、原酒(モルト)の混和量に応じて酒税を決定する、級別酒税方式を導入しており、
輸入スコッチにしても、国産ウィスキーにしても、例外なくこの規定が適用されていました。

が、白札が販売された1929年当時、この級別酒税はまだ導入されておらず、
級別酒税が導入されるのは第2次世界大戦も終わろうかと言う、1943年になってのこと。
加えて、当時は特級表記は無く、ウィスキーは第一級から第三級で定義されており、特級表記への改定は1953年になってから。
この改定で第一級が特級になり、第二級は第一級に、第三級は第二級に表記が改められるも、
第一級と第二級の昔の酒税法との違いが分かりづらいと不評を呼び、1962年にそれぞれ1級、2級と第が取られる形になり、
その他、特級時代のバロメーターとして有名な、二重課税表記の象徴、”従価非税率”も、1962年の酒税法改正で導入され、
私たちが良く知る(?)旧酒税法の形に落ち着くわけです。

つまり、白札のように1940年以前から流通しているボトルについては、級別酒税適用の有無についても確認の必要が出てきます。

また、1939年ごろから1950年、いわゆる戦時中から戦後にかけては酒類をはじめ様々な物品の価格が統制されており、
この時期に販売された酒類については”公定価格○○円”という値札が貼られています。
今回のボトルには、公定価格の表示は見当たりませんでしたが、
国外向け、輸出品に対して値札が貼られていたか定かではないことに加え、
背面のラベルもありませんでしたので、剥がれてしまっているのかもしれません。

 3.今回紹介する白札の流通時期と残された謎
ぐだぐだと書いてきてしまいましたが、改めてこの白札を見てみます。
キャップ箇所を見ると

・サントリーウィスキー第一級
・T6706
・大阪市北区中野島2丁目 株式会社寿屋A

この3情報から、2.記載の過去の酒税法解説のとおり、1943年以降のブツであり、
寿屋がサントリーに社名変更し、白札がサントリーホワイトにリニューアルする1964年以前のボトルであることはわかります。

 また、補足情報として、1943年~1945年は第2次世界大戦の末期にあたり、寿屋も少なからず被害を受け、満足な生産が出来ていたかは不明です。
原酒を貯蔵していた樽についても、防空壕に入れたり、地中に埋めたりして空襲を避ける等努力をしていたようです。
その甲斐あって1946年にトリスウィスキーがリリースされ、1950年にはオールドがリリースされており、
企業としてはウィスキーを生産できる体制が、その時点で整っていたことがわかります。

ただ、ここではっきりとしない情報がいくつかあります。
①白札は旧酒税法で言う特級仕様だったのか、1級仕様だったのか。
②サントリーの旧住所、中野島はいつ拠点が置かれていたのか。
③T6706は東京税関の処理コードである。一方、東京税関は1953年に横浜税関から独立する形で出来た税関であるが、
それ以前は横浜税関東京税関支所として課税処理が行われており、Tの表記はいつから使われ始めたのか。

 色々調べましたが、この3点は宿題になってしまいました。
この3点のいずれかが分かれば、この白札の流通時期はさらに絞ることが出来そうです。

 サントリー70年史や90年史なんかが良いヒントになりそうですね。

いずれにせよ、今日のテイスティング会ではこのボトルを提供させていただきますので、
味もさることながら、ひとつのネタとして楽しんでいただければ幸いです。

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本日開催!

第三回オールドブレンデットテイスティング会(11月26日)
飛び込み参加歓迎です。
http://midnight.usukeba.com/otey1y69kzrmsa.html
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4.余談
名古屋の某BARさんにも、私が持っている白札と同じラベルのモノがあるそうですが、
ブログ等で写真を見させていただいた限りでは、キャップの部分が横書きになっており、
この横書きデザインは初版の白札のモノと一致すること、第一級等の表記が見当たらないことから、
1930年代ごろの輸出向けなのかなぁと、これについては推測が出来ました。

なお、ウスケバのブログはWhisky linkに比べて画像を高解像度で大量に載せづらいので、今回はざっくりと紹介させていただき、
各パーツの拡大画像や、テイスティング等については、Whisky linkにて公開させていただくこととします。

さて、寝ますかw

#山崎 #ブレンデット #サントリー #イベント関連

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