
日本スコットランド協会
NPO 日本スコットランド協会は、 日本とスコットランドの文化交流を推進し、 お互いの理解を深めるために活動する会員制の団体です。
2018.12.06【日記】
ホームズの講演会に行ってきました
The Strand Magazineのオリジナルやホームズ物語掲載の初版本などをみせていただき、情報のあふれる現在では、ホームズのように「情報に振り回されずに、何が重要かを見極める力」が必要と結論づけられました。
めいめいの名前のはいった証明書をいただきました。

イギリス館のある、みなとの見える丘公園は冬咲のバラがきれいに咲いていました。
2015.08.15【日記】
バルトン祭に行ってきました。
ウイリアム・バートンWilliam. Kinninmond Burton(1856-99)
エディンバラ出身。在日中はバルトンの呼び名で親しまれた。
1887(明20)31才の時来日。東京帝国大学初代衛生工学教授兼内務省主任技師。
全国23主要都市の上下水道の調査・設計に携わり、近代日本の4衛生環境の改善に多大の貢献を果たした。
当日はうす雲がかかって前日までの酷暑が一段落していました。墓石は一般墓地域にあり、主催者のご用意で、上下水道関係の方々が多く供花参拝されました。


その後会場を九段の日本水道会館に移し、日本を代表するシャーロッキアン、田中喜芳氏が「シャーロック・ホームズはスコットランド人だった」と題してコナン・ドイルとウィリアム・バートンとの親交、ホームズ物語に登場するウィリアムの父親、ジョン・ヒル・バートンなど興味深いエピソードが紹介されました。

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2013.08.01【お知らせ】
アボッツフォード・ハウス
詳しくはこちらをごらんください。
↓
http://www.scottsabbotsford.co.uk/
次回のまろやかツアーでは行きたいですね。
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2011.05.29【日記】
KWC 世話人宅にて 義捐金イベント
5月下旬のこと,土日に2回に分けて,JSS関西ウイスキークラブの世話人宅にて,東日本大震災の義捐金を集めるイベントが開催されました.これは,個人的に多数のウイスキーを持っておられる世話人の方が、参加費を義捐金とする,ウイスキー飲み放題のホームパーティを主催するというもの.
さて,私が参加したのは土曜日の方.その日の参加者の中には,関東の飲み仲間も来る予定になっていたので,少し早めの時間にJRの駅前で待ち合わせて,一緒にパスタランチを食べてから,世話人宅へと.
招かれて部屋に入ると,そこはボトルだらけ.
以前にも,世話人宅で飲んだことはあるのですが,その時以上にこの日はボトルが並んでました.
何から飲もうかと迷うくらいでしたが,まずは, glenfiddich から.
年代別に何本もお持ちだったので,それらを一旦並べていただいた上で,お薦めを伺って,8年表記のあるものと,年数表記の無い物から.
次は,ベンリアック.これも,既にいろんなバーでは見かけることがなくなったモダンマスターズのベンリアックなどが残っていたり.コレ,好きだったんですよね.
それに,75のベンリアックも数種お持ちだったので,飲み比べしてみたり.
他の皆様も,ご自身の好みのボトルを見つけては飲んでおられます.
私など,まだまだウイスキーの経験が浅いのですが,参加者の中には特級酒標記の時代からずっと飲んでおられるという方もいて,我々がオールドボトルとして眺めるボトルを当時は当時は現行品として愉しんでおらえれたとのこと.その方も,その年代に流通していたボトルを味わって,満足の様子.
この,Cardhu などは,ジョニーウォーカーがすごく美味しかった頃のものですよね.
マッカランの古いのや,バーギー,グレングラント,それに,グレンファークラスのファミリーカスク等,多くのボトルをちょこっとづつ次々と飲んでました.
それにしても,主催者の世話人ですが,まぁ,気前よく次々と開栓しますね.何度か,「既に開栓済みのボトルだけでも十分なので,新たに開栓するの勿体無いですよぉ~」と申し上げたのですが,「ウイスキーは飲まないと」とか「明日,開栓するでしょうから」(確かに,翌日の参加予定者の顔ぶれを考えると・・・・)のことで,その後も続々.
夕刻まで飲ませて頂きましたが.ホントにお世話になりました.特に奥様は準備など大変だったのではと思います.
最後に,今回の会の趣旨である義捐金について,主催した世話人からの連絡を下記に要約します.
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・2日間の参加者は合計15名.
・寄付総額は12万円.
・「あしなが東日本大地震・津波遺児募金」に郵便局から振込み済み.
『大きな被害を受けた方が沢山いるときに、何かできることはないかと考えていたのですが、皆様のご協力で地震と津波の被害にあった子供たちを手助けできることになりました。本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。』