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特攻花

http://www.nishinippon.co.jp/wordbox/display/6753/
(2009年8月8日掲載)
●写真集で次代に伝える 東京都の仲田千穂さん
 
 旧海軍飛行場があった鹿児島県喜界島でテンニンギクを撮り続け、花にまつわる人々と出会いを重ねてきた写真家・仲田千穂さん(27)=東京都=は写真集「特攻花」(ポプラ社)を出版した。
 
 19歳の時、短大の講義で特攻花を知り、喜界島を訪ねた。以来、島でテンニンギクを撮る傍ら、戦争を知る元特攻隊員に話を聞いてきた。「祖父母の時代があったからこそ私たちが生きている。当たり前過ぎて忘れてしまうことに、あらためて気付かされた」
 
 各地で写真展を開き、4年前に写真集を自費出版。その後の歩みを加えて8年間の軌跡を収めたのが今回の写真集だ。
 
 23歳で出会った元特攻隊員・市川安人さんは昨年他界した。「10年後、戦争を語ってくれる人がどれだけ残っているでしょう」。写真集には〈できることを、今しないと悔いが残る〉〈だから、撮りたい写真を撮るのではなく、撮らなければいけない写真を撮っていきたい〉と決意を記した。
 
 3人の少女を被写体とした二つの作品が写真集に収められている。特攻花に囲まれた女児。その写真を手にした女子中学生。間に4年の歳月がある。「私はただ撮り続けてきただけだけど、彼女たちはこんなに成長していた。夢中になって一人でやってきたことが、次の世代につながっていると実感できました」
 
 特攻花との対話は「まだ途中」。何かの答えにたどり着けるまで、撮り続けていくつもりだ。

特攻花
 特攻隊の出撃基地が置かれた鹿児島県の知覧や鹿屋、喜界島などで特攻花と呼ばれるのはテンニンギクやオオキンケイギク。北米原産で、戦前に日本に渡来したとされる。各地で繁殖しているが、オオキンケイギクは繁殖力が強く、2006年に外来生物法に基づく特定外来生物に指定され、栽培・販売などが禁止されている。

奄美大島・喜界島・徳之島・沖永良部島・与論島 【奄美群島情報サイト】
http://amaminchu.com/entertainment/book001.html
太平洋戦争末期、九州と沖縄の中間に位置する喜界島は九州(鹿児島知覧)から出撃する特攻機の中継地点があった。自らの命を犠牲にして沖縄戦に向かう若い特攻隊員が、最期に飛び立った場所が喜界島だった。
夜明け前に特攻出撃する若い隊員たちに、地元の娘たちは野の花を贈っていた。 隊員たちは「花も一緒に散っていくのは忍びない・・」との思いからか、空から花を落とし別れを惜しむように沖縄に向かった。そして、何かを願うように滑走路にそっと花を置き、静かに沖縄に向け飛び立っていった。 その花の種が風に舞い、60年を経った今も、毎年飛行場跡に咲き続けている。 島の人たちはこの天人菊(テンニンギク)をいつしか「特攻花」と呼ぶようになり、平和を願う花として今でも大切にしている。
特攻花については様々な説がある(実際の特攻花は桜だという説など)。しかし、この国で60年前に戦争があり、敵味方とも多くの人命を失い、この『特攻花』がそれを今に伝えるシンボルとなっている、ということは確実にいえることだ

写真家の仲田千穂さんは、19歳のときに喜界島に咲く「特攻花」と出会い、以来5年間、この花を撮り続けてきた。特攻隊員と同年代だった彼女にとって、この花との出会いは衝撃的だったという。その彼女がこれまで撮りためた写真を1冊にまとめた写真集が「特攻花」だ。元特攻隊員の板津氏をはじめとする生きた証言、5年間の取材メモとあわせて、この国の戦争と平和を丁寧に映し出していく。「特攻花」を通して、写真のもつ力と、伝えることの責任を学んだという一人の女性カメラマンの魂の記録でもある。ピースな映像作家で知られる映画監督の中野裕之氏も「根性のある娘」と絶賛の言葉を寄せている。

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