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新藤兼人「うそを言っちゃいけん」

肝に命じなければ・・・
「うそはついちゃいけん」

新聞記事より 

「うそを言っちゃいけん」 小学校担任の言葉、独立プロの契機に

 広島の小学校で担任だった市本義雄先生(故人)は、豪放でさっぱりした人でした。教室ではいつも大声でしかっていました。一方、遅刻してバケツを持たされて立たされても、ほかの先生がいなくなると「戻っていい」と言ったものです。権威ぶらず、子供と同じ高さにいた人。先生の結婚式には級長として僕が呼ばれ、ぜんざいをごちそうになりました。

 奈良に修学旅行に行ったときです。広島の村から来た僕たちには洋服やスカートなどなく、着物にゲタ。周囲が田舎者とバカにして横目で見ているようで気が小さくなり、道の端をちょこちょこ歩きました。

 しかし、先生は堂々と道の真ん中を歩きました。赤ネクタイや茶色の靴でおしゃれはしていましたが、赤ら顔に縮れ毛で太り、男前とは言えない容姿。東大寺や三笠山に行っても「阿倍仲麻呂という偉い人がのぅ」と広島弁で大声で説明するのです。

 市本先生は常に「うそを言っちゃいけん」と言っていました。映画監督もうそをつくとすぐに俳優に見抜かれます。僕が1950年に独立プロを立ち上げたのも、自分たちでうそのない仕事をしたいと思ったから。曲がったことを言わない先生の教訓は、学校の校庭に水が染み込むように残っています。

先生は小学校の隣村に住んでいましたが、退職後「子供の唱歌や声を聞きたい」とわざわざ学校の隣に引っ越しました。先生が脳出血で倒れてお見舞いに行ったときは、言語障害のためゆっくりですが「新藤、(作品を)見ているぞ」と言ってくれました。すべての生徒の顔を覚えていたのです。これらの話を基にした市本先生がモデルの映画「石内尋常高等小学校 花は散れども」を製作し、昨年公開しました。

 小学校は子供が初めて社会に出て、個人として扱われる場。中学、高校は知識を学ぶ場であり、それを与える技術のうまい人が先生なのですが、小学校の先生には学問を修めた偉さよりも、深い人格が求められます。

 市本先生も自分では大きな仕事をしたと思っていなかったでしょうが、僕にとっては巨大な人。今の小学校の先生にも、もっと誇りを持ってほしいですね。(聞き手は服部良祐)

 しんどう・かねと 広島県生まれ。溝口健二に師事、1951年に「愛妻物語」で初監督。監督、脚本家として活躍し、代表作は「原爆の子」「裸の島」「鬼婆」など。2002年に文化勲章受章。97歳。

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